桐下駄は室町時代から生産され、江戸中期以降に一般必需品として需要が高まり、当地方も旗本の桐の植付け奨励策等により産地化し、鬼怒川を利用して盛んに出荷されました。 鬼怒川流域(結城地方)は、福島県会津地方等とともに桐下駄の生産地として知られています。しかし、昭和30年頃を境として下駄の需要は少なくなり、生産高は減少しています。
いしげ結城紬は、経糸に生糸、緯糸に真綿の紡糸を使い、主として絣模様に織り上げた正絹織物です。 嘉永3年(1850)頃に至り、高機の導入により生産が増え、明治後期から大正にかけての技術改良により、紬御召絹綿交織縮等も新製品も開発され、織物産地の基盤が確立され今日に至っています。
節の部屋を復元しています。室内に置かれた荒削りの粗末な机が、当時を物語っています。 この部屋は、昭和52年10月に明治期の図書室部分の古材を使用し復元し、石下町民俗資料館(現常総市民族資料館)に展示保存していたものを地域交流センターに移設したものです。