茨城県観光ガイドうぃーくえんど茨城
小美玉市の歴史を考古資料を中心に通史的に展示しています。寛永二年に製作された古い絵図「霞ケ浦絵図(模写)」が展示されており、霞ケ浦全体を表した絵図は、これが唯一で、この玉里史料館でしか見れません。
【電車】
こちらが玉里史料館です。
海とともに暮らす~縄文時代~
縄文時代の霞ケ浦は穏やかな内海でした。貝や魚、獣、木の実といった、海の幸に恵まれ、生活した貝塚人がいました。
土地を耕し始めた人たち~弥生時代~
弥生時代の後半ころ、ちょうど2,000年前から、玉里の地に農耕を始めた弥生人が登場します。
地方王権の時代~古墳時代~
天然の良港である高浜入りを中心に、水上交通を掌握し、生産性の高い豊かな土地を背景に、この地に有力な豪族が誕生します。その豪族の墓である古墳が、玉里には数多く造られます。
新制国家~古代~
律令制が始まり、中央集権国家となった時代でした。
乱世を生きる人々~中世~
武士が覇権を争った混乱と不安の世に、たくましく生き抜く人たちがいました。
玉里地区の歴史を映像と地形模型で紹介しています。
霞ケ浦とともに~近世~
霞ケ浦という内海の特徴を活かし、水運が発達した時代でした。また、高浜入りは、玉里御留川に指定され、水戸直轄の漁業地として発達しました。
霞ケ浦絵図(模写)
寛永二年(1625)に製作された古い絵図です。このような霞ケ浦全体を表した絵図はこれが唯一で、大変貴重な資料です。
高瀬舟
霞ケ浦、利根川水系で活躍した貨物運搬用の大型の川船で、米500~600俵を積むことができました。
小美玉市民家園
江戸時代中期の富裕な農家であった、旧小松家住宅を移築しています。
こちらになります。