茨城県観光ガイドうぃーくえんど茨城
海軍の町としての歴史を歩んできた阿見町は、戦争と平和を考える上で忘れることのできない多くの事柄をその風土と歴史の中に刻み込んでいます。この歴史的背景の中で予科練を主体とした貴重な資料を保存・展示するとともに、命の尊さや平和の大切さを伝え考える機会を作るために「予科練平和記念館」は建設されました。
予科練平和記念館では、予科練の制服である「七つぼたん」をモチーフに7つのテーマ展示室でストーリーが展開されます。企画展や講演会、研修会等、さまざまな事業を展開できる「20世紀ホール」、休憩や図書の閲覧を兼ねた情報提供の場としての「情報ラウンジ」などがあります。
【電車】
JR常磐線「土浦駅」西口の1番バス乗り場から関東鉄道バス「阿見中央公民館」行きに乗車し、「阿見坂下」停留所(所要時間15分)で下車、徒歩3分
【バス】
JRバス「江戸崎方面」行きに乗車し、「阿見坂下」停留所(所要時間15分)で下車、徒歩3分
※「阿見坂下」停留所、「阿見」停留所は同じ位置にあります。
桜並木のアプローチを抜けると、記念館入り口のガラスを通して大きな写真が目に入ります。
天井の高いエントランスホール。江戸時代から海軍の町になるまでの阿見の姿を写真で紹介しています。写真を見ながらそのまま右へ進むと、常設展示室1~4共通の入り口スペース、ロビー1があります。 1930年に横須賀ではじまった予科練教育が、時代とともにどのように変化していったかを紹介しており、周囲には前述の写真家、土門拳が予科練習生たちを写した写真が大きく引き伸ばされ、青空を切り取った窓とともに配された印象的な空間です。
予科練習生を模したガラスケースが立ち並ぶ展示室1「入隊」では、少年たちがどのようにして予科練習生となっていったのか、その状況や入隊までの様子を、映像を交えて展示しています。そして、これまであまり知られることのなかった台湾・朝鮮半島出身の練習生たちについても、貴重な写真や資料とともに紹介しています。
試験を突破して晴れて航空隊の門をくぐった少年たちには、朝早くから夜寝るまで、分刻みの訓練が待っていました。普通の少年から軍人へ。彼らがどのような生活を送っていたのか、寝起きした兵舎と勉強した教室を部分的に再現した展示室でその実情にせまります。
予科練生が、どのような気持で日々を過ごしていたのかを、残された手紙などから探っていきます。 隊内でこまごました私物を入れた「手箱」とよばれる木製の箱を模した展示ケースのなかには、練習生たちが家族や友人に宛てて書いた手紙の実物が展示されます。また、同じく手箱をモチーフにした箱の中には、手紙を書き起こして本にしたものが入っており、自由に手にとってご覧いただけるようになっています。白を基調とした展示室内は、練習生たちが残した手紙の言葉ひとつひとつが、静かに語りかけてくるような空間です。
搭乗員にあこがれて入隊した予科練習生たちですが、彼らが予科練時代に飛行機に乗れるのはたった一度、飛行機の操縦員か、通信や航法などをおこなう偵察員かに進路をわける試験のときだけでした。進路別にそれぞれの課程を終えて予科練を卒業すると、どちらも「予科」がとれて「飛行練習生」となります。ここからが本格的な飛行訓練のはじまりです。この飛行練習生課程(飛練)では、予科練以上に厳しい訓練が彼らを待っていました。猛訓練の日々を経てすべての課程を終えると、練習生たちは一人前の搭乗員として第一線へ飛び立っていきます。展示室4「飛翔」では、予科練卒業後の練習生たちの姿を追います
緊張が続く日々を送る予科練習生にも、思い出に残る楽しいひとときがありました。それは、日ごろの訓練から開放されて、隊の外で羽を伸ばすことができるたまの日曜日であったり、離れて暮らす家族との面会であったり、隊内での映画会など、娯楽の時間でした。また訓練の厳しさをよく知る阿見や土浦の人たちは、予科練習生をあたたかく見守っていました。そうしたさまざまな人たちとの交流や、練習生の思い出の場所などを、展示室5「交流」でご紹介します。また、この中には戦時下の暮らしを解説するコーナーもあり、当時の様子を写真などで紹介するほか、実際に使われていたものも展示しています。
昭和20(1945)年に入り、空襲がますます激しくなるなか、予科練教育を行なっていた土浦海軍航空隊も攻撃目標となります。予科練習生だけではなく、付近の住民も巻き込んで大勢の人が亡くなった阿見の空襲。それは昭和20年6月10日、日曜日の朝のできごとでした。展示室6「窮迫」では、展示室の天井と壁面に映し出される映像によって、当時の状況や空襲の恐ろしさを擬似的に体感することができます。また、実際の空襲を体験した人たちが、その様子を映像のなかから語りかけます。展示室6を抜けると、白い壁と外が見える四角い窓、そして言葉が記されただけのスペースになっています。窓に切り取られた空は、空襲があったあの日と同じかもしれない。そんなことを考えさせてくれる静かな空間です。
平和な現在とは違い、当時の日本では、非情な作戦が決行されようとしていました。少ない兵力で確実に戦果を上げるため、爆弾を抱えて体当たり攻撃をする特別攻撃、通称「特攻」です。最初の特別攻撃は海軍によって行なわれ、土浦海軍航空隊で予科練時代を過ごした甲種第10期生を中心として隊が編成されたことは、あまり知られていないかもしれません。予科練出身者は海軍の航空機による特別攻撃戦死者の7割にあたります。 展示室7「特攻」では、予科練と「特攻」作戦のかかわりを、予科練出身の戦死者を暗示する光が浮かび上がる展示室のなかで紹介していきます。 多くの犠牲を払い、今なお続く傷を残して終った戦争。復員した予科練習生たちはそれぞれの生活へと戻り、戦後の混乱期から高度経済成長を経て激動の昭和を駆け抜けました。年号は平成にかわり、21世紀をむかえましたが、世界中が平和であるとはまだ言えません。これから先の未来をどうするかは、今を生きる私たちにかかっています。過去を知り、未来を見つめる。予科練平和記念館のメッセージであり、エピローグです。
戦艦大和
零戦の展示